魚じゃなく、釣り方を。3人の子を持つ父が考える「遺すべき財産」
『DIE WITH ZERO』を読んで気づいた。子どもに遺したいのはお金ではなく「釣り竿」——価値を生み出す力と、自分で決める力だ。

今年に入って、ビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO』を読んだ。
ビル・パーキンスは1969年、米テキサス州ヒューストン生まれ。アイオワ大学を卒業後、ウォールストリートを経てエネルギー分野のトレーダーとして成功した人物だ。ヘッジファンドのマネージャーとしてだけでなく、ハリウッド映画のプロデューサーやポーカープレーヤーとしても活躍している。そのパーキンスが書いた初の著書が、この本だ。
主張はシンプルだ。「お金は経験に変えてこそ意味がある。死ぬ時にお金を残すのは失敗だ」。
最初にそのコンセプトを聞いたとき、やや過激な主張に聞こえた。でも読み進めるうちに、じわじわと腑に落ちていった。お金はそれ自体に意味があるのではなく、使って何かを体験することで初めて価値になる。使われないまま口座に残ったお金は、生きている間に経験できたはずの何かだ。その可能性が、使われないまま終わる。死ぬ時に残高が多いほど、経験の機会を逃し続けた人生だったとも言える。蓄えることが目的になってしまう人生は、何かがずれている。
怖い話だと思った。
本の中にはもうひとつ、印象に残ったくだりがある。「子どもへの贈り物は、死んでからではなく、生きているうちに渡せ」という話だ。遺言書に財産を書いて渡す頃には、受け取る子どもたちはすでに50代や60代になっている。お金が最も人生を豊かにできるのは、若くて体力もあり、経験を積める時期だ。今一緒に旅行に行く。その記憶を作る。死後に残した金額より、そちらの方が何倍もの価値を持つ。パーキンスはそう言っている。
本当にその通りだと感じた。もう一度読み直すつもりでいる。
でも、ちょっと待ってくれ。
読みながら、私は少し違う方向に考えが向かっていた。
私には3人の子どもがいる。彼らが大人になる頃、私はどんなものを残した人間だったと振り返るだろうか。お金は遺せるかもしれない。家や株もあるかもしれない。でも私が本当に遺したいのは、そういうものじゃない。
釣り竿だ。
魚を与えるのではなく、釣り方を教えろ、という古い言葉がある。文字通りの釣りの話ではない。魚は消費されれば終わりだが、釣り竿があれば自分で魚を獲り続けることができる。つまり、生きていける。この例えを借りるなら、私が子どもたちに遺したいのは確かに釣り竿だ。
釣り竿というのは、具体的には何か。私は「価値を生み出して稼ぐ力」と「自分で決める力」だと思っている。
前者について、雇われることを否定したいわけではない。でも、自分が何かの価値を作れる人間であること、その自覚があること——これは生きていく上でかなり強い基盤になる。私自身が起業して、そのことを体で感じてきた。仕事がなくなったとき、お金があっても何もできない人間より、仕事を作れる人間でいる方が、はるかに豊かだと思っている。
後者の「自分で決める力」は、決めることを他人に委ねる習慣がつくと失われていく。逆に、決める回数を意識的に積み重ねると、判断は確実に鍛えられていく。人生の大事な場面で、自分の頭で決められる人間でいてほしい。
だから私は、子どもたちにお金を遺すことより、稼ぐ方法を見せることに意味があると思っている。どうやって価値を作るか。どうやって、自分で決めるか。背中で見せられるものが、言葉よりも確かな遺産だ。
もちろん、釣り竿を渡したとしても、その子が釣りをするかどうかは本人次第だ。釣りが向いていないなら農業かもしれないし、竿を売る商売を始めるかもしれない。それでいい。
お金は、なくなれば終わりだ。釣り竿は、使うほど腕が上がる。
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