鏡に映る自分は、虚像だ。(後編)
本当の自分はどこに映るのか。カーブミラーに映る歪んだ世界を手がかりに、自己認識と行動について考える・後編。

前編では、鏡の像が虚像であること、そして左右反転の正体が「前後反転」であることを書いた。
後編では、それが示す問いを掘り下げていく。
問い②「本当の自分はどこに映るのか」
自分が見慣れた自分の顔は、実は誰も見ていない顔だ。では、他者が見ている「本当の自分」とはどこにあるのか。
ひとつの答えは、他者の反応の中にある。
自分が気づいていない癖、話し方のパターン、部屋の匂い。そういったものは、自分には見えないし感じられない。しかし他者にはわかる。他者という「鏡」は、自分の鏡とは違って反転しておらず、正像に近い。
ただし、他者の鏡もまた完璧ではない。相手の価値観、感情、利害関係というフィルターがかかる。完全な実像を映す鏡は、この世に存在しないのかもしれない。
だとすれば、自己認識は常に不完全であるという前提で生きるほかない。
これは悲観的な話ではない。むしろそれを知っていることが、誠実さの出発点になると思う。「自分のことはわかっている」という確信が揺らいでいるほど、人は他者の話を聞けるし、自分の行動を問い直せる。
問い③「では今日、何をするか」
こういう抽象的な問いを転がすとき、私はいつも最後に「で、今日どうするか」という問いに戻る。
思考は行動に繋がらなければ、ただの趣味だ。
自己認識が不完全であるという前提に立つなら、自分がとれる行動はひとつだ。フィードバックを受け取り続けること。他者の反応を無視せず、しかし飲み込まれもせず、参照しながら自分の地図を更新し続けること。
GPSは常に現在地を更新し続ける。自己認識も同じでいい。固定した地図を正解だと思い込まず、動きながら補正していく。
カーブミラーのコーダ
最後に、カーブミラーの話をしたい。
交差点の角にある、あの丸く歪んだ凸面鏡だ。あれは世界を意図的に歪めることで、本来見えない範囲まで視野に収めるための道具だ。正確な実像を映さない代わりに、死角をなくすことを優先している。
自己認識の道具として、鏡より正直かもしれないと思う。
自分のことを正確に映そうとするより、死角を減らすことを目的にする。見えていなかった自分の側面が少しでも見えたなら、それは十分だ。
まとめ
鏡に映る自分は虚像だ。他者に映る自分も、完全ではない。
しかし、だからこそ自己認識は面白いと思う。完成しない地図を持ちながら、毎日少しずつ描き足していく作業だ。
正確な自分などいなくていい。動きながら、反応を受け取りながら、補正し続ける。そういう人間のほうが、私は好きだ。
この内容はPodcastでも話しているので、耳から聴きたい方はそちらもどうぞ。
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Editor's Note
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