今の日本で怖いのは地震より「雨」
2026年。地震対策は着実に進化してきた。だがここ1〜2年、もっと静かに、もっと確実に怖くなってきているのが「雨」だ。

時は2026年。
情報も技術も発達し、地震対策はもはや相当なところまで来ているのではないか。
過日の熊本地震では、九州道・八代IC付近の高架橋がきれいにずれたが、地面に落ちず完全崩落を免れた。これは阪神・淡路大震災の教訓から生まれた「損傷制御設計」だ。落橋防止装置や伸縮継手が地震のエネルギーを吸収し、崩壊させずに修復を可能にする仕組みらしい。
日本の技術力って、こういうところにある。
先日も茨城県で深夜に震度5弱の地震があったが、日本人はビクともしない。それが良いのかどうかは正直なところわからないが、良い悪いで見れば良いことだろう。
「雨」が変わってきた
他方で、1〜2年前くらいから怪しくなってきているのが「雨」だ。
豪雨。ゲリラ豪雨。スコール。
スコールとまではいかないのかもしれないが、1〜2年前からつくばで時おり降る豪雨には、少し「ヒいて」いた部分があった。
その「雨」が、今夏より本領発揮をしてきている。
私の地元、千葉県佐倉市でも先日の豪雨で亡くなった方がいる。正直、子どもの頃は「雨で人が亡くなる」なんて信じられなかった。考えもしなかった。
それがこの2026年。子どもの頃から30年の時を経て、なぜわれわれは雨による被害を受けているのか。
この環境変化と、どう付き合うか
地震には耐震設計があり、避難訓練があり、早期警報がある。数十年かけて蓄積された「対処の型」がある。
だが「雨」はどうか。ゲリラ豪雨は予測が難しく、排水インフラは旧来の降雨量を前提に設計されている。地震のように「揺れたら机の下へ」という明快な行動指針が、雨にはまだない。
この環境変化に、われわれ人間はどう付き合っていくのか。
いま、人生が試されている。
(続く。いつかね)
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